夕暮れの道

温かな陽射しが僅かに差し込む路地裏の中、新八はそこにあるポリバケツの内側を覗き込んでいた。捜しているものがいないだろうと見当はつけていても一応は確認しておきたいのが真面目な人間の性だ。当然そこに目当ての影はなくあるのは膨らんだゴミ袋だけ。結果のない繰り返される作業に少しだけ気落ちしつつ新八がもう一度辺りを見回した時に自分を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえた。声の主を振り返る。大通りから逆光を浴びて輪郭が眩く輝いている銀髪の男がそこには立っていた。
「あ、見つかりましたか銀さん」
「いいや」
 銀時の返事に大袈裟に肩を落として新八が溜息を吐いた。陽は捜索を始めた時点から大分頂上に近付いていっている。薄暗い路地裏を気だるそうに眺めながら銀時がぼやく。
「たまだか三毛だかしんねーけどよォ、今日中に見つけられるかァ? これ」
「『ぜん』ですよ銀さん。あと猫じゃないです犬です」
 すかさず訂正する新八に不機嫌な色を混ぜて銀時が返す。
「俺がいつ猫って単語出したんだよ。たまや三毛って名前の犬がいたっていーじゃねぇか。それともアレか、アイツらはいつまでたっても飼い主のつける安易な名前の呪縛から解き放たれないで生きていくしかねーのか」
「いや、誰もそんなことまで言ってませんけど」
 呆れた新八のツッコミなど耳に入っていないかのように銀時が大きく欠伸をしてまた大通りの方に戻っていった。慌てて新八が駆け寄って隣に着く。めんどくせーな、という雰囲気を体全体から放出する銀時を窘めるように新八が口を開いた。
「ちょっと銀さん、早く吉村さんを安心させる為にも真面目に捜してください」
「分ァかってるって」
 本当に分かってるのかこの駄目人間は、と新八は辛辣な一言を内心に思い留めた。

 時は数時間前に遡る。
 平素通り大した依頼もなく予定もない万事屋の貸家で思い思いのまま三人と一匹が朝を過ごしていると、玄関口から若い男の声が聞こえた。貸家の住人で一応万事屋の社長である銀時が向かうと、扉を開けた瞬間男は頭を下げて切羽詰った声で「助けてください」と懇願してきた。突然のそれに目を丸くした銀時の脇から顔を出した新八がまずは中に入って話を、と促しようやく男が顔を上げた。男の歳は銀時と同じくらいだろうか、二十代後半に見える出で立ちで普通の着物を着ており、別段悪いようには見えない。奇想天外で可笑しな依頼ではなさそうだと不謹慎ながらも新八は内心ほっと息を吐いた。
 万事屋の応接スペースで新八、銀時、神楽と三人横に並んでソファに座り、向かい側のソファに座った男の話を聞く。男は吉村良之助と名乗る商人だった。吉村からの依頼内容は、子供と犬の捜索願。吉村の話によれば、昨日買い物を頼んだ子供が一緒に家を出た飼い犬と共に夜になっても帰って来なかった。捜しにいこうとしたが「子供のことだからきっとピンピンして戻ってくる、それよりも明日は大事な仕事があるのだから眠った方がいい」と周りに言われ、心配ながらも一晩待ってみたのだが、朝になっても帰ってきてはいなかったのだという。もし今子供が何かにあっていたらどうしようか、昨日の晩何があっても捜しにいくべきだったと、吉村は唇を噛んで自分に対して恨めしそうに呟いた。
「ガキなんてほっといても平気なくらい丈夫なモンだぜ。どーせどっかで寄り道食ってのんびりしてるだけだって」
「そうですよ吉村さん、まだ何かあったと決まった訳ではないですし、ただ迷子になって警察署とかに預けられているだけなのかもしれないんですから」
 そう言って新八はふ、と「警察」という単語が引っ掛かった。
「吉村さん、どうして僕らに捜索を頼みに来たんですか? 捜し出すんだったら警察の方が見つけやすいと思うんですけど……」
 新八の一言に、吉村は残念そうな顔で首を横に振った。
「警察になら行きました。でも、素気無く断られてしまいまして」
「警察が断るゥ!?」
 新八が思わず発した大声に銀時が迷惑そうに片耳を塞いだ。神楽は平然とした顔で酢昆布をしゃぶり続けている。どうして断られたんですか、と新八が吉村に聞いた。
「なんでも、今江戸で重大な事件が起こっているからそちらの方に手一杯で、そんな人捜しに割く人員などいないと言われて……それから、人捜ししてほしいならいいところを知っているからそこに頼め、と万事屋さんを紹介されたんです」
「あのォ、吉村さん……一つ聞いていいですか」
「はい、なんでしょうか」
 新八は嫌な予感がしていた。
「その、吉村さんが捜索を頼んだ警察っていうのはもしかして」
「真選組です」
 やっぱり、と新八は顔を覆った。そして瞬時にそんな警察にあるまじき対応をする人物が誰かを特定した。神楽も「そんなことするのはアイツに決まってるアル」と決まりきったように呟き眉根を寄せて酢昆布を齧っている。またメンドクセーこと押し付けてきやがって、と頬に手を付きながら銀時が溜息を吐いた。ただ一人吉村だけが事情を把握出来ずにいる。不安そうな声色で吉村が三人に聞いた。
「あの、それで万事屋さん、お頼み出来るんでしょうか。――お願いします! 大事な子供と愛犬なんです。報酬はたっぷり払いますからどうか」
 最後の部分は此処に来た時と同様、懇願する響きで頼まれ、新八は熱く胸を打たれた。もちろんです、必ず見つけ出します、と新八が発しようとした途端に銀時が言った。
「分かりましたよお客さん、そういうことならこの万事屋銀ちゃんにお任せください。すぐに見つけ出して報酬を……あ、いやあなたに安心を取り戻してみせますから」
「きゃっほーい! やったネ銀ちゃん新八! 今夜はすき焼きアル!」
「お前ら金のことしか考えてねーんかィィィィィィ!!」
 新八のツッコミに吉村が一瞬面食らった後、くすくすと笑い出した。吉村にありがとうございます、という言葉に続いてよかった、と言われ、三人が不思議そうな顔をする。
「あなたたちのような人ならきっと陽太郎とぜんを見つけ出してくれると思いまして」
 吉村の言葉に、新八が質問を投げ掛けた。
「陽太郎っていう名前なんですか、お子さん」
「ええ、でも、私の本当の息子ではありません」
 その台詞に一同の顔付きが変わる。新八が慎重に言葉を選んで聞いた。
「養子、なんですか」
「いいえ、捨て子でした」
 捨て子、という単語に新八と神楽が一瞬動揺する。銀時が変化のない死んだ目をして「またどうして捨て子なんか」拾ったんだ、と言外に聞いた。
「……放っておけなかったんです。どうして、と聞かれても私にだって分かりません。ただ、あの子の目を見た瞬間に思ったんです。うちの子にしよう、って。周りから何度も馬鹿だ、お人好しだと笑われました。事実その頃は一人分生きていくのに精一杯の収入でそれ程裕福ではありませんでしたし、もう一人を、ましてや子供を増やすだなんて自分でも考えたこともありませんでした」
でも、と吉村が言う。
「後悔は全くしていませんでした。私の生活費を減らせば陽太郎は養っていける、と考えていましたし、今まで目的もなく続けていた仕事にもやる気が出てきたんです。そしたら、以前よりも客足が増えて店も大きくなりました。あの子のおかげとしか言いようがありません。陽太郎は私に奇跡をくれたんです。今でだって後悔したことなんか一度もありません」
 穏やかに、でも真剣な眼差しで話をする吉村がふと顔を三人に向け、悪意のない柔らかい笑みを出した。
「すみません、依頼に関係のないことをべらべらと」
「あ、いえ全然大丈夫ですから、聞いたのはこっちですし」
 新八が首を振ると吉村がまた、ここにはいない姿を思い出すような眼差しで話した。
「陽太郎は擦れた子ですから、私以外の言うことを聞くか心配だったんです。でも、あなたたちなら問題ないでしょうね」
「どうしてそんなことが分かるアルか」
 神楽の問いに吉村がにっこりと微笑む。
「私は仕事柄たくさんの人と顔を合わせますが、善人と悪人の違いは自然と分かってくるものです。私の目に狂いがなければ、あなたたちは余程の善人ですよ」
「いや、アンタから金せびろうとしてましたけどね」
 吉村が腕時計を見て、「いけない、もうこんな時間だ」と呟く。
「申し訳ありません万事屋さん、そろそろお暇させて頂こうかと」
「あ、そういえば大事な仕事があるんですよね」
「そうなんです。私も捜しにいきたいんですがこればっかりは」
「心配せずにバーンといってこいヨ。私たちが必ず見つけとくアル」
「ありがとうございます、万事屋さん。私の大切な家族のこと、よろしくお願いします」
深々と礼をして吉村が玄関の扉を潜ろうとした瞬間、銀時がその背中に声を掛けた。
「吉村さんよォ」
「はい?」
「俺ァ、アンタみてぇな物好き、嫌いじゃないぜ」
 吉村が振り返るとそこには口端を上げて立つ銀時がいた。
「ガキと犬のことは俺たちに任せとけ」
 頼もしい一言と三人の笑みに見送られ、もう一度深々と礼をして微笑みながら吉村は万事屋を出た。

 そんなことがあって、万事屋一行は子供と犬の捜索に乗り出した。
 吉村の家はこの近くにあるそうなので、まずは三人でかぶき町中を回り吉村から貰った陽太郎とぜんの映る写真を手に聞き込みをした。だがしかし誰に聞いても返ってくるのは知らないや見ていないといった台詞。意気込んでいたところを挫かれ銀時と神楽のモチベーションが急激に下がっていくのを横でひしひしと感じ取っていた新八が作戦を変えようと言い出し、人数を分けて二人はここの近辺を捜索、もう一人はもう少し遠くのエリアを捜索することに決めた。ジャンケンの結果、神楽が一人で行くことになり地図と写真を手にかぶき町外へと向かった。そして銀時と新八の二人でかぶき町を隈なく捜し出したのだが、一向に一人と一匹が見つかる気配は見えない。こんなことなら吉村に何かにおいのついた物を持ってきてもらい、現在万事屋で留守番中の定春に嗅がせればよかったと新八は後悔し始めた。新八の陰鬱としてきた心持とは異なり、空は晴々とその身を青く透き通らせている。はらへったー、と銀時がお腹に手を当てて呻いた。
「我慢してください銀さん」
「そんなこと言っててめー銀さんのお腹と背中がくっついちゃったらどうすんの。くっついたあげくガキ孕ませてデキ婚とかしちゃったらどう責任取ってくれんの」
「できませんから」
 銀時の苦情をバッサリ切り捨てて新八は町の人々が賑わう大通りを抜け、反面、穏やかに時が流れているような印象を受ける川辺の道を歩いた。
「お、新八、あんなところに屋台があンぞ」
「わざとらしいですし、それにこんな時間じゃきっとお店出してませんよ」
 新八の言葉にあからさまに銀時はテンションを下げた。子供かこの人は、と新八は呆れたが、確かにさっきから歩きっぱなしでいつもより早く小腹が空いている。これから動き回る為にも食事くらい取った方がいいかなと結論付け銀時にそう言おうとして、姿が見えないことに気付く。
「あれ、銀さん?」
 こんな短時間で姿を眩ますことは銀時だったら可能そうだが、そうすぐには遠くまで行けないだろう。薄っすらと銀時が行きそうな場所の見当を付けてもう一度大通りまで戻る。出来ればそこにはいてほしくなかった、が……。
「いた」
 パチンコ屋に。
 数分後、また元の川辺の位置まで戻って、屋外だというのに銀時は正座させられて新八に説教をくらっていた。
「仕事の最中にパチンコする奴があるかァァァァ!」
「いや、だってね新八くん。これにはワケが」
「なんだァ、どんなワケだ!」
「そういや俺ほとんど金ねーんだったって気付いて、それで二人分の食事代を稼ごうとしてですね」
「それで全額なくしたら元もこーもねーだろーがこの腐れ天パ!」
「オイてめー今は天パなこと関係ねーだろーがこの眼鏡!」
「黙れ人に給料も払えないような甲斐性無しが!」
「眼鏡しか取り得のない奴に言われたかねーんだよこの眼鏡!」
「眼鏡以外にもなんか言うことねーのか!」
「じゃあ言うけどな、てめーさっきからなんかにおうんだよバカヤロー」
「え、どこですか」
「ほら、なんか、ここらへんから」
 銀時の指差したのは、新八が履いている袴の腰辺りの部分。新八は、ああそういえば、と何か思い出したような声を上げて、ポケットから淡い紫色をした布を取り出した。
「姉上が昨日くれたんですよ。このラベンダーの匂いのするハンカチ」
「てめーの姉貴もまた珍しいモン買ってくんなァ」
「最近開店したデパートに仕事仲間と行って買ったらしいですよ。そういや、今朝神楽ちゃんにも匂うって言われたような……それに定春も僕のこと嗅いできたし……そんなに匂いますか?」
「結構キッツイにおい出てんぞ」
 銀時の指摘に、まだ一度も洗っていないからかな、と新八が布を鼻に近付けながら言う。確かに、少しキツめの匂いがした。
 その時、ぐうぅ、と唸るような響きが聞こえた。新八の腹が鳴る音だった。一瞬間が空いて、気まずそうに新八が銀時を見ればそら飯時だろう、と言わんばかりの顔がこちらを見つめている。それが妙に腹立たしく、また先程の行動もあった為か新八は銀時に制裁を加えることにした。
「銀さん、やっぱり何か食べましょう」
「な、言ったじゃねーか」
「でもアンタはまだ駄目です」
「ハァ?」
「もう一周くらい町内を回ってきてください。そしたら食事代渡しますから」
「んだそれ、てめーだけ先に食べようってか」
「アンタがあんなかっこつけたこと言った手前で仕事放棄しようとするのが悪いんです。パチンコしようとした罰ですから」
「んなこと言われたって銀さんもう動けねーよ。体罰にも程があるよこれじゃ」
「じゃあ分かりました。先に食事代は出すんで後は一人で頑張って下さい。僕神楽ちゃんの方手伝いますから」
 そう言って新八の財布から一食分だけ手渡し、僕のお金なんですからちゃんと返してくださいよ、と付け足して新八はズンズンと銀時から離れた場所へ歩いていった。
 後には、新八のその一連の動作に少しばかし呆然とする銀時だけが残っていた。

 気持ちのいい天気アルナ、と背伸びをして神楽は一人呟いた。陽射しに弱い為傘越しにしか陽光を感じられないが、空気が暖かいのは有難いことだった。
 かぶき町から少し離れた町に着いた神楽であったが、いつまでも手掛かりも進展もない聞き込みにはもう飽きてしまい、代わりにぶらぶらと散歩のように見慣れない景色を眺めながら当てもなく歩き回っていた。陽気はぽかぽかとして暖かく、神楽の睡眠欲を際限なく刺激してくる。
「ようたろうー、ぜんー、どこにいるアルかー。いたら返事するアル、ふあぁ」
 大きな欠伸をこしらえながら進む神楽の目に、ふと、町の景色には不似合いな物が映る。長屋と長屋の間にある路地裏の陰で、小さな子供が体育座りで蹲っているのを発見した。不審に思い神楽が近付いても、相手は気が付いていない。神楽が小さく息を吸い込んだ。
「わっ」
「う、っわぁ!?」
 突然目の前で大声を出されて、それまで俯いていた子供が驚愕の声を上げながら飛び上がる。その反応に神楽は満足そうに笑い、驚いた子供の顔をまじまじと見て、今度は自分が驚いた。子供の顔は、神楽の手に持つ写真のそれと瓜二つである。
「お前、陽太郎アルか」
「え?」
 突然現れた人物に突然自分の名を呼ばれ、子供は動揺したように大きな瞳をまばたかせた。が、すぐに怪訝そうな瞳になり神楽をじと、と睨む。
「そうだけど、なんでお前が知ってるんだよ」
「お前のパピーにお前を捜すよう頼まれたアル」
 その言葉にぴく、と陽太郎が反応したのを神楽は見逃さなかった。
「お前、どうしてこんなところにいるネ」
 そう神楽に問われても陽太郎は黙り込んでいる。神楽は、「ハァー、やれやれこれだからおこちゃまは」と両手を上げて首を振るジャスチャーをした後、陽太郎の腕を掴んで勢い良く立たせた。陽太郎が焦った声を出しながらよろめく。
「なに、すんだよ!」
「事情なんて後からたんまり聞くネ。まずは家に帰るアル」
 神楽が自分を家に連れ帰そうとしていると察して、陽太郎は乱暴にその手を振り払った。そして、己に危害を加えようとする者を威嚇する犬のように神楽を睨みつける。今にも咬みつかんばかりの勢いで。
「帰らない」
「どうしてアルか」
「お前には関係ない」
 冷たく突き放す陽太郎の台詞にカチン、ときた神楽が、拳骨をつくって陽太郎の頭上に置き、ぐりぐりと押し付ける。
「いーからガキは黙っておうちに帰って天テレでも見てるアル」
「ガキって言うなっ、つーかなんなんだよお前!」
「万事屋銀ちゃんの可愛いアイドルこと神楽ちゃんネ」
 自分を見下ろしてくる背の高さとはいえど、腕も足も細くて白いまだ少女に子ども扱いされ、陽太郎の方もムッとして手を伸ばし神楽の髪に掴みかかる。それから陽太郎が放った一言で、二人の喧嘩が勃発した。
「……かわいい? 誰が?」
 ブチッ、と神楽のこめかみで血管が切れた。鼻で笑う生意気な顔を神楽の指が力強く抓り、負けじと陽太郎も抓り返す。しばし無言の応戦が続いたが、突如神楽の手が離れて、自然と陽太郎も手を離した。こんなことしてる場合じゃないネ、とまだ不満そうな顔で神楽が言い放つ。
「お前を必ず見つけ出すってお前のパピーと約束したアル。連れ帰さないと意味ないネ」
「嫌だ、帰らない」
「ワガママ言うんじゃねーヨ。パピーと喧嘩でもしたアルか?」
「……そんなんじゃ、ない」
 そう言ってだんまりを決め込む陽太郎に、何か深い訳があるのだと神楽は感づいていた。帰りたくない理由をあえて追求せずに、別のことを言う。
「パピー、陽太郎のことすっごく心配してたネ」
「……リョウノスケが?」
「うん」
 陽太郎は怪訝そうな顔をした後、そっぽを向いて「知らね」と言った。
「あんな奴のことなんか」
 陽太郎は嘘を吐いている。神楽は分かっていた。でも、人にはどうしても言いたくないことが出来てしまうと、頑なに口を閉ざしてしまうことがあることも知っていた。
「分かったアル」
 神楽はそう呟くと、陽太郎の手を握って大通りまで引きずり出した。
「私、陽太郎が帰る気になるまで傍にいるネ」
「はぁ?」
 神楽の言うことが信じられないというように陽太郎が声を上げる。神楽が陽太郎の方を向いてニカッと微笑んだ。
「そうと決まればさっそく散歩でもするアル!」
「え、ちょ、おい、勝手に決めんなっ」
「陽太郎、私お腹空いたネ。買い物してたなら金持ってるだろ、なんかおごれよ」
「子供にたかるな!」
 言ってから自らを子供だと認めたことに気付き、陽太郎は「あ、」と口を開ける。前方にニヤニヤと笑う神楽の顔が見えて、イラッとしながらもなんとなく陽太郎はその手についていくことを決めた。

 新八に置いていかれたことに数秒間焦ったものの、彼に握らされたお金で早めの昼食を取り終え町内をぶらついている頃にはそんなことがあったことをすっかり銀時は忘れてしまっていた。
 手掛かりの少ない捜索程無謀なものもないが、確かに新八の言った通り吉村の前であんなことを言った手前今更諦めることも出来ない。さて、これからどうしようかと思案したところで、思わぬ人物に出くわした。
「あれ、誰かと思ったら旦那じゃないですかィ」
 こんなところで何してるんでィ、と特徴的な口調で話す男といえばこいつしかいない。真選組一番隊隊長、沖田総悟だ。何をしているんだ、と言われたが、恐らくこいつならよく知っているはずだと銀時は踏んでいた。
「人捜しと犬捜しだよ。つーか、てめーだろーがこっちに仕事押し付けてきやがったの」
「そうでしたっけ?」
 しらばっくれんな、と銀時は眉根を寄せて言う。
「吉村、ってヤローがてめーのとこに来ただろう」
「あー、そういや来ましたねィ、そんな奴」
 悪びれもなく総悟は認めた。めんどくさかったからてきとうな理由付けて追い返しやした、という台詞を淀みなくさらりと言える警察は世界中どこ探しても総悟くらいだろう。
「旦那たちの仕事が増えて良かったじゃねーですか。どうせ暇だったんでしょう」
「その通りに違ェねぇが、おめーこそ仕事らしい仕事してねーみてぇだけど」
 銀時の視界にいる総悟はきっちりと隊服を着こんではいるが、常のようにまともに仕事をしているような雰囲気は発していない。大方見回りと称してその辺をぷらぷら回っていただけだろう。その証拠にも、手には白いビニール袋が提げられていた。
「それ、なんだ?」
「これですかィ? 最近オープンしたデカいデパートで買ったんでさァ。店の名前は覚えてやせんが」
 中身が気になるか、と総悟は聞いてきたが銀時は遠慮しておいた。薄っすらと半透明の袋の上から中身のタバスコらしき物が視認できたからだ。十中八九土方への嫌がらせに使うだろうことは予想できた。他にも、縄やろうそくなどナニに使うんだと言いたくなるような物体の陰が見えた。総悟が「あ、そういえば」とたった今思い出した事柄のように呟く。
「江戸で重大な事件が起きてるってのは嘘じゃないですぜ」
「どんな事件だよ」
「麻薬を横流ししてる馬鹿な連中がいるんでさァ」
「そんな奴らどこにでもいるんじゃねーの?」
「それだけだったらマシだったんですけどねィ。どうやら相当質の悪い組織みたいで。子供の人身売買や武器の密輸にも手を出してるみてぇなんでさァ」
 子供の人身売買、と聞いて銀時の脳裏に真っ先に思い浮かんだのが現在捜している陽太郎のこと、それと神楽と新八の姿だった。まさか、とは思うが胸に嫌な予感がざわめく。
「そんな奴らのさばらせてたら危ないじゃないの、オタクらがきちんと働いてくれなきゃ僕たち市民が困るんですよ」
「ちゃんとやってまさァ。ただ連中思ったより数が多いみたいで、斬っても斬っても別の場所から出てきやがる」
 総悟がかぶき町から離れた町の名を言い、あそこら辺に組織のアジトがあるのだと忠告する。銀時は興味のない振りをしながら、その町名をしっかり胸に刻んだ。
「一応市民を護るのも俺らの仕事なんでね、ちゃんと警告はしときましたぜ。まァ旦那なら奴らに出くわしても多分平気でさァ」
「ハナから出くわしたくねーよそんな奴ら」
「ほらオタクら何かとそういうのに巻き込まれやすいでしょ。用心したことに越したことはないですぜィ。それじゃ俺はこれで」
「ちょっと沖田くん不吉なこと言って去ってくの止めてくんない」
 おーい、という銀時の呼びかけには応じずに、そのまま総悟は銀時の前を去っていった。
 また一人に戻った銀時は後頭部を掻きながら、燦燦と輝く太陽を仰ぎ見ることしか出来なかった。

「そういえば陽太郎、ぜんはどこいったアルか?」
 結局陽太郎の持っている財布の中身は吉村の物なので使えないと言われ、神楽は空腹を紛らわす為に常備品の酢昆布を齧って気を紛らわしていた。
 今更といえば今更な質問であるが、神楽は今の今まで全く忘れていたのである。
 その質問に陽太郎の顔付きが変わる。眉を吊り上げた子供らしくないつまらなさそうな顔が、見る見るうちに落ち込み、悲しそうな表情をつくった。その変化に神楽は戸惑う。
「どうしたアルか。何かあったアルか?」
「……はぐれたんだ。追われてる最中に」
 「追われてる?」と陽太郎の言葉を神楽が反復すると、しまった、という顔で陽太郎が自分の口を覆う。やっぱり何か隠してたアルナ、と神楽が問い詰めた。
「正直に言うアル。ここに来るまでに何があったネ」
 じりじりと壁際に陽太郎を追い詰める。神楽から目を逸らして相変わらず口を閉ざす陽太郎をじ、と神楽が見つめ続けていると、近くから聞き覚えのある声がした。
「あ、こんなところにいたんだ神楽ちゃん」
「新八!」
「……誰?」
 新八が来たことに神楽は喜んでいたが、見知らぬ少年の出現に陽太郎は一瞬警戒心を抱いた。だがそれは新八の明るい笑顔によって払拭される。
「もしかして君が陽太郎くん? よかった見つかって。初めまして、僕は新八」
「は、初めまして……」
「新八、陽太郎、誰かに追われてたみたいアル」
 神楽の衝撃の一言に新八は驚愕の声を上げた。陽太郎が余計なことを言うな、と神楽の脇をどつく。新八が当然のように心配そうな顔をして陽太郎に聞いた。
「追われてた、って誰に?」
「……お前には関係ない」
「さっきから陽太郎これしか言わないヨ」
「陽太郎くん、話してくれたら僕らにも何か出来ることがあるかもしれない」
「そうアル、私たちに話してみるネ」
新八と神楽の真剣な瞳に、陽太郎は誰にも話さないと決めた決心が揺らぎそうになっていた。唇を噛んで俯く。前にもこんなことがあったような気がしていた。
「なんで、オレなんかに構うんだよ」
「決まってるネ。放っておけないからアル」
 『放っておけない』――その言葉を、陽太郎は以前にも誰かに言われたことがあった。思い出して、心が温かくなる感覚がする。ぽつりと、陽太郎が言う。
「……言ったら、オレのことを、助けてくれる……?」
「もちろんだよ」
「なんでも屋の万事屋アルからな」
 にっ、と笑う二人を見て、陽太郎の口元が微かに上がる。「実は」と陽太郎が重い口を開いた。

「そんな大変な目に遭っていたなんて……」
 人に聞かれたくないという陽太郎の要望を聞いて、三人は路地裏に移動していた。
 陽太郎の語る昨日から今までの経歴を聞き、新八と神楽は揃って青白い顔をしている。陽太郎の話はこうだ。陽太郎は昨日飼い犬のぜんと共に買い物をした帰り道、路地裏で人が話している声が聞こえて好奇心からうっかりそこを覗いてみてしまった。見るとそこには如何にもな風貌の男達が怪しい単語を使って、ひそひそと話し合っている。陽太郎はそこで見てしまった。男が、もう一人の男に白い粉が入った袋を渡す場面を。急いで逃げれば間に合ったかもしれない。しかし、気配に感づいたグループの一人に姿を目撃されてしまい、陽太郎は足がすくんで動けなくなった。にたり、と気味悪く笑い此方に近付いてくる男の足を、ぜんが突然噛み付いた。男がぜんを振り払い傷を確認している隙に陽太郎は一目散に逃げ出したが、既にその場にいた全員に気付かれた後で、陽太郎とぜんはしつこく追い回された。堂々と麻薬の取引が行える程人通りの少ない道を夜になっても脇目も振らずに必死に走り、陽太郎が気が付いた時には来たこともないような町の中だった。ぜんの姿はいつの間にか見当たらない。途方に暮れた陽太郎はこれ以上迷子になるのも嫌だと感じ、一晩を薄暗い路地裏の中、身を潜めて過ごした。誰か他人には頼りたくなかったし、両親に捨てられてから二年間は一人で何度もこんな夜を繰り返していたから慣れていた。そうして、目を覚ましてこれからのことを考えている時に神楽に会ったのだという。
「どうしてもっと早くに言わなかったアルか」
「面倒な奴だって、思われたくなかったんだよ」
「そんなことないよ。陽太郎くんは何も悪くなんてないじゃないか」
「でも、」
 陽太郎はもう一度唇を噛んだ。知らず内に睫毛が震え、怯えた声を絞る。
「リョウノスケに、伝わってほしくなかった。自分の食事すら我慢してオレを養ってくれたアイツに、これ以上迷惑なんてかけたくなかった。オレ、五歳の時に父ちゃんと母ちゃんに貧しいからって追い出されたんだよ。だから、もう誰かの重荷になって捨てられたくなんかないんだ」
 陽太郎の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。新八が慌ててハンカチを取り出して雫を拭う。神楽が小さく震える背中を擦ってやった。
「大丈夫だよ、良之助さんが陽太郎くんだけほっぽいて逃げ出すような人に見える?」
「アイツはそんなチンケな男には見えなかったネ。それに、陽太郎のこと話す時すごく幸せそうな顔してたアル」
「だから、戻って良之助さんにちゃんと話そう? 警察にも話したら悪い奴らは捕まるはずだから」
「たまには大人を信じてみるアル」
 陽太郎はついにしゃくりあげて泣き出した。嗚咽を出す合間に何度も頷いて、家に帰りたい、と言った。新八が母親のように優しい笑みを浮かべて立ち上がる。
「その前にお腹空いたでしょ陽太郎くん、神楽ちゃん。僕お金持ってるから何か食べてからにしよう」
「お、新八のくせに気が利くアル! でもなんでお腹空いてるって分かったネ」
「神楽ちゃんいつもご飯待ってる間酢昆布齧って紛らわしてるでしょ。あと一言余計だから。そんなこと言うと食べさせてあげないよ」
 そう言いながらも笑顔の新八たちは大通りに出て、食事をする店を探そうとする。陽太郎も泣き顔を直して後に続いた。神楽が何処からか漂う美味しそうな匂いに釣られて走り出すのを、新八が追いかける。その様子がとても楽しそうで、思わず陽太郎が笑い出しそうになった瞬間、背後から見知らぬ大人の手が口元に伸びてきた。

 陽太郎の姿が見えないことに新八たちが気が付かなかったのは、大通りを出てから走り出した神楽に新八が追いつくまでの一瞬のことであった。振り返って今まで見えていた人物がいなくなったという事実に、二人の表情が固まる。それとほぼ同時に、複数人の気配と殺気が空気を介して伝わってきた。反射的に神楽も新八も臨戦態勢をとる。ぞろりと物陰から姿を現した男たちは、皆真剣を携えて二人を取り囲むように立った。男の内の一人が訳の分からない叫び声を出しながら斬りかかると、その他大勢も一斉に二人に向かって刃を向けて迫ってきた。神楽が持っていた傘の先端から銃弾を放ちその足元を薙ぎ払う。銃弾の当たった男たちは悲鳴を上げて倒れこみ、痛い、クスリをくれ、とのたうちまわる。その異常な様子に新八が事を察した。
「こいつら、麻薬中毒者……?!」
「言ってる場合じゃないネ新八。あれ見るアル」
 神楽が睨みつけた先の光景を見て新八は息を飲んだ。そこには、まだ理性を保っていそうな男に刃を突きつけられて捕らえられている陽太郎。その目は恐怖に怯えて見開かれていた。陽太郎を捕らえている男が言う。
「獲物を探していたら運良く昨日会ったガキに会うとはなぁ。しかも二人も威勢の良いおまけがつくときたもんだ。ツいてるねぇ今日は」
「陽太郎を放すアル!」
 神楽が銃口を男に向けると、男は勝ち誇ったような笑みで陽太郎の喉に剣の刃先を宛がった。陽太郎の引き攣った悲鳴が上がる。神楽の腕が揺らいだ。
「大人しく捕まってくれりゃこのガキに危害は加えないぜ。今のところはな」
 成す術もなく神楽と新八が立ち尽くすと、男が何かを投げて地面へと落とした。落ちた物体からは煙幕が立ち上り、二人の周囲を白く煙らす。思わず咳き込んで息を吸った数秒後、二人は急激な眠気に襲われてその場に倒れこんだ。煙幕が消え去ってから周りの麻薬中毒者たちに身柄を拘束される。意識が遠のく瞬間、陽太郎の二人の名を叫ぶ声が両者の耳に聞こえた。

 事態とは思わぬ形で急変するものだ。
 銀時は、ぜんを発見することに至った。かぶき町内の、人目に付かないような空き地の隅で転がされたように横たわる一匹の犬を見つけたのだ。写真から照らし合わせて、ぜんと見て間違いないその茶色の毛並をした柴犬は、足や体のあちこちに痛ましい傷を付けていた。かろうじて生きてはいるものの、大分衰弱しきっている。銀時はとりあえずまずぜんを獣医に診せに行き、手当ての間に吉村に電話でその旨を報告した。銀時の話を聞いた吉村は、仕事を一旦切り上げて万事屋まで向かうと返した。手当てを施し水と食事を与え、幾分元気を取り戻したぜんを万事屋に連れて帰った銀時は、定春と戯れるぜんの飼い主をいつになく真剣な表情で待っていた。
 程なくして吉村は万事屋に到着した。しきりに吠えるぜんを玄関まで運び銀時が扉を開けた瞬間に、吉村が顔を明るくしてぜんを抱きかかえた。愛犬に顔を舐めまわされながら、よかった、生きていてよかったと吉村は喜んでいたが、再会の余韻も過ぎた頃、急に不安げな顔になり銀時の方を窺った。明るい色を消してから吉村が発した第一声は、実の息子のように可愛がっている子供の安否であった。
「まだガキの方は見つかってねーよ」
「そうですか……」
 吉村が顔を曇らせて項垂れる。腕の中のぜんがくぅん、と切なそうに鳴いた。包帯の巻かれたぜんの前足を手に取り、吉村が更に不安そうに尋ねる。
「坂田さん、ぜんのこの傷は何かに巻き込まれた跡なんじゃないでしょうか」
「そんなことは俺も知るめいよ。ただ、可能性はゼロじゃねーな」
 銀時は先程の総悟がした話を思い出していた。確証がない今、それを吉村に告げることはしない。銀時は玄関に置いたブーツを履き、吉村の肩を軽く叩いた。
「ガキは新八と神楽が付いてりゃ問題ねーだろーが、もしかしたらまだ会ってねーかもしんねーしな。一応俺も迎えに行くわ」
「あの、私も付いていっていいですか」
「アァ? ……いーけど。アンタ仕事は」
「仕事なんかどうだっていいです。今は一刻も早く陽太郎の無事な姿を見たい」
 吉村の瞳には力が篭っていた。銀時は溜息を吐き、定春を呼び寄せて家の玄関口を潜り抜けた。続けて吉村とぜんも家を出る。
 もし今陽太郎の傍に新八と神楽が居れば、何か事が起こっても大丈夫だろうという二人に対する信頼が銀時にはあった。しかし、黙って待ってはいられなくなる程、銀時の野生の勘は警報を鳴らし続けている。いつになく焦っている自分に、銀時は戸惑った。

 時刻は午後一時半を過ぎた辺りだろう、少し体を傾かせた太陽が青空に浮かんでいる。銀時たちは黙々とかぶき町内を通り、神楽たちがいるだろう少し離れた町へと目指していた。憶測に過ぎないが、恐らく陽太郎はもうかぶき町にはいない。別段楽しくもなさそうな雰囲気で歩く銀時に向かって、吉村が口を開いた。
「いい天気ですね」
「あ? アァ、」
「すみません、私どうも誰かといる間無言でいるのが苦手でして。少し話しながら進んでもいいですか」
「べつにかまわねーけど」
 困ったように吉村は笑って、照れくさそうに自らの頬を掻いた。銀時が了承すると、遠くを見つめて話を始めた。
「といっても、一体何を話したらいいやら。私の話すことと言ったら、普段から陽太郎のことばかりなんです。あの子は、五歳の時に家の経済苦を理由に両親から見捨てられました。突然親戚の家に住むように言われて、訳も分からぬまま教えられた住所に行っても、既にもぬけの殻だったそうです。それでも両親の言いつけを守ってあの子は親戚の帰りを待ちました。私が陽太郎に出会ったのはあの子が七歳の時ですが、どうして独りなのかの経歴は教えてくれても、その間二年間どうやって生活していたのかはなかなか話そうとしてくれません。無理に聞かずとも、子供にとって過酷で辛い日々だったことは容易に想像出来ます。私はあの子の親代わりになってあげたかった。あの小さくて弱い体を、護ってやりたかったんです」
 銀時は前を向いて歩きながら、吉村の話に無言で耳を傾けていた。
「図々しいですよね、此方の都合で相手の気持ちも聞かずに。私は、陽太郎といて初めて、世界が眩く輝いてるように思えたんです。一生懸命生きているあの子を見ていたら、勇気が湧いてきて、陽太郎と過ごす日々が、楽しくて仕方なくなってしまったんです」
 あんまり、好かれてないみたいなんですけどね。吉村が苦笑した。
「もしかしたら陽太郎の両親や親戚があの子のことを探しているかもしれない。だから、『その時』には陽太郎をきちんと本当の家族の元へ返してやるつもりです。つもり、なんですが……だめですね俺って。本当はそんな日が来て欲しくないんです」
 吉村が空を見上げながらくしゃり、と笑う。「陽太郎は、名前通り私の太陽ですから」。
 なんだか恥ずかしいな、と言った吉村に対して、恥ずかしむ必要なんてねーよ、と銀時が言った。
「親ってのは、そうやって馬鹿みたいに子供を愛するモンなんじゃねーのか。血の繋がった家族よりも、アンタの方がよっぽど本当の親のように俺には見えるぜ」
 吉村が驚いた顔で銀時を見つめる。銀時の表情は窺えないが、吉村は僅かに声を上げて笑った。
「万事屋さん達は、血の繋がった家族なんですか」
「あ? ちげーけど」
「坂田さんも、家を出てから時折親のように心配そうな顔をされてましたよ。あのお二人のことを考えていたんじゃないんですか」
 無意識に考えていたことをずばりと言い当てられてしまい、またそれが表情にも出ていたのだと吉村に指摘されて、銀時は頬が熱くなるのを感じた。無言を決め込むと肯定の意だと相手に伝わって、微笑ましそうに笑われる。妙にむず痒い気分に銀時はなっていた。
「羨ましいです。お三方は大変仲が良く見えましたから。私も陽太郎にありったけの愛を注いでいるつもりですが、何分素直じゃない子なので、思いがちゃんと伝わっているか分からずにたまに不安になってしまうことがあって」
 私「も」って何だ、まるで俺まで注いでるみたいに聞こえるじゃねーか、と銀時は細かい部分が気になったが、そうではなくどうしても言わずにはいられない言葉を吉村に言った。
「伝わってるだろーよ。てめーの気持ちはちゃんと」
「え、」
「そんなにまで大切にされて想われてることを、敏感なガキが気付かないわけがねェさ」
 知らず知らずの内に昔を思い出して銀時は話していた。陽太郎と幼かった頃の自分が重なる。いつか自分をおぶってくれた背が優しくて温かかったことを、今でも銀時は覚えている。
「……そうだと、いいですね」
 吉村が瞳を閉じながら呟いた。
 その時であった。二人の間で慌しく犬の吠える声が聞こえてきたのは。吠えているのは紛れもなく吉村の抱えるぜんと、銀時の後ろについてきていた定春だ。
「どうしたんだ、ぜん」
「なんかあったのか? 定春」
 吉村が驚きと疑問符を浮かべてぜんに問いかける。ぜんは首を曲げて同じ方向を見続けながら、しきりに鳴き声をあげていた。吉村はぜんの目線を辿っていく。そこには、細長く続く路地裏があった。その奥の方をぜんは見つめている。
「これは、一体……」
 思考を巡らせてから吉村は、何かに気が付いたように息を吸った。
 それとほぼ同時に、銀時も息を詰めていた。定春が数メートル走って止まった場所の地面を指し示されたように銀時が観察すると、そこにあったのは見覚えのある銃痕。
 神楽の持っている傘を使った形跡があった。
 そして、その周囲からほんの微かに感じる煙幕の臭い。と、もうひとつは――
「……新八」
 今日新八が持っていたハンカチに付いていたのと同じ、ラベンダーの香りだった。
 銀時は気が付く。歩いて辿り着いたこの町の名は、総悟の言っていた物と変わらない。
 吉村の声が路地裏の入り口から聞こえる。
「坂田さんっ、この先に陽太郎がいると、ぜんが!」
 この状況から、銀時は全てを察した。胸の奥で、静かに重い感情が沸き立つ。
「定春、こっから新八と神楽が通った道、分かるよな」
 わん、と元気良く定春が鳴く。銀時が吉村を振り返った。
「吉村さん、アンタ、自分の息子が悪党どもに攫われたって聞いたら、どうする」
「……決まっています。どんな奴らであろうと、立ち向かうまでです」
「そうこねーとな」
 定春が地を蹴ったことを合図にして、二人と二匹が薄暗い闇の中を駆け出した。

 人のざわめき声が聞こえる。目を覚ますとそこは無機質なコンクリートに囲まれた巨大な倉庫であった。金属性の扉で出来た入り口から最も離れた壁に寄りかけられている。腕に違和感を感じ動かそうとして、後ろ手に縄で縛られていることに気が付いた。意識がはっきり覚醒し、新八は辺りをもう一度見回した。すぐ隣には同じように拘束された神楽と陽太郎がいる。既に目覚めていた神楽が「あ、新八起きたアル」と常と変わらない声色で言った。陽太郎はしかめっ面をしながら入り口の景色を睨みつけている。
「神楽ちゃん、陽太郎くん、ここは」
 なんとなく声を潜めなくてはと思い小声で新八が聞けば、神楽がややトーンを下げて答えた。
「新八、私たち見事に捕らえられてしまったようアル」
 自分たちの置かれた状況を思い出し、新八の表情が張り詰める。背後から目線を感じて振り向くと、あの気味の悪い男たちが武器を持ち自分達を見張っていた。倉庫の中央では男達が数え切れないくらい集まり、自分達を値踏みするように見ながら何やら話し合っている。その光景に新八はぞっとした。これから自分達がこの男達に何をされるのかなんて、想像できようにもしたくはない。ぽつり、と横から呟きが聞こえた。
「オレたち……殺されるのかな」
 陽太郎の声だった。陽太郎は顔色を変えないように必死に冷静を保っていたが、無意識に膝を震わせていた。膝を折り曲げたその間に陽太郎は顔を埋める。
「オレ……まだリョウノスケに何も伝えてないのに……父さん、って呼んであげたこともないのに……」
 押し殺した嗚咽が聞こえる。泣いているようだった。神楽が陽太郎に言う。
「男がこんな時にぴーぴー泣くのはやめるアル」
「だって、お前は、殺されてもいいのかよ」
「いいわけないアル。私だってまだ言いたいこと全然伝えられてない馬鹿な奴が一人いるネ」
 陽太郎が神楽の顔を見る。神楽は真っ直ぐ前を向いてはっきりと喋っていた。
「大切な人に素直になれないのはみんな一緒アル。今まで言えなかったことを悔やんでも仕方ないネ。後悔したのなら、これから言えばいい話アル。だからまずは助かる方法を探すネ」
 そう言った神楽の拳が震えているのを、新八は発見した。怖いのはみんな同じなのだと、当たり前の事実を知る。新八が陽太郎を励ますように明るい声を出した。
「大丈夫だよ陽太郎くん。いざって時には僕と神楽ちゃんが絶対君を護るから」
「だから難破船に乗った気分でいるアル」
「いや大船だよ神楽ちゃん。それじゃ溺れちゃうから」
「漫才してる場合かよ」
 そう言って、三人は黙り込んだ。必死になってここから脱出する方法を考える。しかし、縛られて見張りがいる状態では思うようには動けない。悩んでいた神楽がふと、嗅ぎ覚えのある匂いを感じた。キツいラベンダーの香り。ニヤ、と思わず笑みをつくる。
「やったね、新八、陽太郎」
 二人の頭上に疑問符が浮かんだ。神楽が明るい笑みで言う。
「定春の鼻ならきっとここが分かるアル」
 その言葉で、新八は神楽の言わんとしていることが分かった。陽太郎は不思議そうな顔をして、ニヤリと笑みを交し合う新八と神楽を眺める。
「おい、小僧共、お別れの挨拶は終わったか」
 低くドスのきいた声が頭上から聞こえ三人が顔を上げると、大柄で頬傷のある男がにやにやと締まりのない顔をして立っていた。態度と風貌から察するに、こいつがこの組織のボスなのだろう。陽太郎が怯えた顔を見せると、男はやさしげな声をかけた。
「そんなに怖がらなくてもいいぜ。別にお前らを殺すわけじゃねぇ。商いの道具として使うんだよ」
「人身、売買……!?」
 新八の驚愕の声にそうだ、と男が笑みを深める。
「お前らはバラバラになって二度と出会うこともなくなるだろうよ。さて、まずはどいつから連れ出そうかな」
 男の目が新八に止まった。新八は男のギラついた欲深い目から一歩も逸らさずに、真っ直ぐ視線を合わせ続ける。男の眉間にしわが寄った。
「おい、てめぇなんて目で見てんだよ」
 新八は少しも動じないように気を張った。男の目を見つめ続け、無言で軽蔑や侮蔑の眼差しを送り続けた。「おい」、と男の声が苛立ちを増して降りかかる。
「生意気な顔してんじゃねぇぞゴルァ!」
 男が叫んだ次の瞬間、新八は力一杯男に殴られて地面に額を擦りつけた。衝撃で眼鏡が外れ、床に落ちる。痛みに呻き声が出る。神楽が「新八ィ!」と叫んだ。
「おら、なんか言ってみろよアァン!?」
「お前ら……なんかに、……僕らは、負けない」
 小声で途切れ途切れに紡いだ新八の台詞に更に激昂した男は、新八の胸倉を掴んで引き上げた。そして、もう一度力強く殴りつけ地面に叩きつける。
「やめるアル!」
「うるせぇっ娘っこは黙ってな!」
「神楽ちゃん……僕は平気だから、っう」
 男がもう一度新八を引き上げて笑う。
「お前が一番なよっちそうに見えて、度胸があんじゃねぇか。おもしれぇ。こうなったら息の根を止めるまで殴り続けて――!」
 男の言葉の途中で、微かにだが何処からか犬の鳴き声らしき音が聞こえた。それを耳に入れた瞬間、新八と神楽の口角が上がる。突如不敵に笑い出した二人の子供に、男は慄いた。
「おい、てめぇら……何笑ってやがる」
「今すぐ手、離した方がいいんじゃないスか」
「ハァ?」
「でないと、」
「ただじゃすまないアル」
 二人がニタリと笑みをつくった直後、爆発のような音と共に扉が破壊された。

「すいませーん、ここにウチの子たちお邪魔していませんかー」

 壊された扉の外側に立っていたのは、銀髪の男と巨大な白い犬。
「銀さん!」
「定春ゥ!」
「よォ、待たせたなオメーら」
 不敵に笑う銀時の横から、吉村がぜんを抱えながら中を窺った。
「陽太郎! 無事か!?」
「――リョウノスケ!? なんでここに!」
 陽太郎は信じられないといった表情で吉村を見つめる。陽太郎の安否を確認して、吉村が笑顔をつくった。
「そこで待ってろ陽太郎! すぐ助けに行く」
「いや、アンタはここで待ってな」
 中に入ろうとする吉村を、銀時が木刀で制した。でも、と吉村が銀時を見る。みりゃわかんだろ、と銀時が敵を見つめながら言う。
「こっから先は侍の領分だ。商人はそこで見てな。無事に陽太郎に会う為にもな」
 吉村を残して、銀時は戸惑いもなく倉庫の中へ足を踏み入れる。新八を掴んでいた男がその手を離して、銀時の方に向き聞いた。
「てめぇ何もんだ。こんなところに何しに来た」
 男が銀時の傍まで近付いていく。銀時は表情一つ変えずに言い放った。
「だから最初に言ったでしょ。ウチの子お邪魔してないかって」
「ウチの子? 知らねぇなぁそんな奴」
「あれ、もしかしてあなたが預かってくれてたんですか。いやぁ、すいませんねぇ、迷子になって今頃道端で泣いてたらどうしようかと思って」
「人の話聞けよ! なんだお前、あのガキ達を取り返しに来たのか」
 銀時の目の前まで迫った男が懐からナイフを取り出し、鋭利な刃を銀時に突きつけた。
「邪魔するんじゃねぇよ。お前ら俺らを敵に回したらどうなるか思い知らせてやろうか」
「物騒なもん持ってるじゃねーか。何、オタクらそんなに子供のこと手放したくないの。あ、もしかしてロリコンだかショタコンだかそっちの趣味の集団?」
「ちげーよ! 俺らはただガキの方が使い勝手がいいか、ら……っ!?」
 男の体が宙に浮いた。カラン、とナイフが床に落ちる音が響く。銀時の指が男の顔面を掴んで、ミシメキと音を立てた。
「使う、って?」
 自分の背よりも高く男を吊り上げて、銀時が低い声で男に聞く。男を掴んでいる右腕の筋肉が隆起して、抵抗する男を離さない。
「悪いけどもうそいつらはウチの従業員として働いてるんでェ、勧誘は諦めてくれませんかァ」
「がっ、っは……」
「人様の大事なモンに手出してまでする汚ェ行為を商いとは呼ばねェ」
 右腕を大きく振り上げて、銀時は投げの姿勢をとった。
「母ちゃんの乳吸うところから出直してこい悪党がァァァァァァァァァァ!!!!!!!」
 勢いをつけて銀時が吹っ飛ばした男は、立っていた場所から遥か遠く離れた位置まで吹っ飛び、地面に二、三度転がって地に伏せた。
 銀時のあまりの腕力に、周りで刀を携えた全員が立ち竦む。男を投げ飛ばした銀時が顔を上げる。その静かな瞳に宿るのは確かな怒りと、殺気。
「てめーら、俺のモンに手ェ出してただで済むと思うなよ」
 組織のアジトが、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌した。

 銀時が駆けつけて次々と敵を薙ぎ倒していくのを相変わらず見事なものだと妙に感心しながら新八が眺めていると、神楽に頭突きをされた。思いっきり。
「ぁいった! ちょ、いきなり何すんの神楽ちゃん!」
「何ぼーっとしてるアルか駄眼鏡。見張りがいなくなったアル」
「え? ほんとだ」
 今まで新八たちを監視していた男たちが皆いなくなっている。恐らくは銀時と乱闘中か、既に散乱する気絶者たちの一味に加わっていることだろう。これはチャンスだ。
「新八、早く私の縄を解くアル」
 神楽が背中を向けて手首を差し出してきた。助けが来たのに急ぐ必要があるのかと新八が聞こうとして、神楽の瞳を見てその心中を察した。少女の瞳は、真剣さと不安を浮かばせて、助けに来てくれた大切な人に加勢したいという強い意志を新八に訴えかけていた。新八が力強く頷いて、自らも背中を向けもどかしい手付きで懸命に縄を解こうとする。
「モタモタすんなヨ眼鏡」
「今眼鏡かけてないし。文句言わないでよこれ難しいんだから」
 やっとの思いで神楽の縄を解き、新八が息を吐いた。神楽が手首を曲げて動かせるかを確認し、よし、と呟いて立ち上がった。
「あ、待ってよ神楽ちゃん、僕達の分は?」
「あ、忘れてたアル」
 神楽がすぐさましゃがんで新八の縄を無理矢理引き千切り、続いて陽太郎の縄も引き千切る。
「新八は陽太郎のことを頼むアル!」
 そう言った後新たに神楽が加わった乱戦は完全に優勢劣勢が決定付けられたも同然だった。今までぽかんと口を開けたまま事の次第を見つめていた陽太郎が新八の方を向いて、心配そうに聞く。
「あの人達、大丈夫?」
「銀さんと神楽ちゃんなら平気だよ。あれくらいの人数なら五分もかからずに倒しちゃうから」
「いや……倒れてる人達の方」
「あー……、うん、多分峰打ちの筈だから大丈夫」
 いや、大丈夫、だよ、ね? と新八が乱戦を見ながら若干不安になっていると、陽太郎の近くから低い唸り声が聞こえてきた。振り向くと、倒れていた筈の男が刀を振りかざして、まさに陽太郎に襲いかかろうとしているところであった。男と刃物に気が付いて陽太郎が悲鳴を上げる。頭を押さえてぎゅ、と目を瞑ること二秒。一向に来ない衝撃に陽太郎が目を開けると、男が此方側に白目を向いて倒れこんできた。男は陽太郎のすぐ横の地面にそのまま倒れ伏す。陽太郎の頭上を通過していたのは、竹刀。
「ふー、危なかった」
 振り向けば、竹刀の持ち主は新八であった。驚く陽太郎に新八が落ちていた自分の眼鏡を拾い上げながら微笑みかける。
「ね、言ったでしょ。絶対君を護るって」

 ざっと六十人はいただろう組織の人間は、ものの五分もかからずに全員壊滅した。銀時が木刀を腰のベルトにぶら下げて癖毛を掻く。神楽が、倒れていてもまだ意識のある連中の髪を掴み上げ揺すり、「レディになんてことしてくれたアルかワレィ」と完全にチンピラ口調で先程の拉致拘束された怨みを晴らしていた。倉庫の外で成り行きを見守っていた吉村が、騒ぎが終わったとみて恐るおそる倉庫内へ入った。ずっと新八の服の裾を掴んでいた陽太郎が、吉村とぜんの姿を確認して、一目散に吉村の元へと駆け出す。そうして、ほぼぶつかるような形で吉村に抱き着いた。
「……ッ! リョウノスケー、っひ、ぐ」
「よく頑張ったな陽太郎。無事で、良かった……!」
 張り詰めていた糸が切れて泣きじゃくる陽太郎を、潰れんばかりに力強く吉村が抱き締める。それに挟まれて、嬉しそうにぜんがくぅん、と鳴いた。
「本当の、親子みたいアルナ」
「そうだね」
「ったく、無駄な仕事増やしやがって……」
「まぁまぁ、結果オーライですよ」
「どこが結果オーライ、だ。銀さんもうここまで走ってきたのもあってクタクタよ」
「そんなこと言ったら朝から何にも食べてない私の方がクタクタアル!」
「あの、万事屋さん」
 三人でいつもと変わらぬ応酬をしていると、吉村が陽太郎とぜんを抱き締めながら三人に呼びかけた。三人が顔を合わせて吉村を見ると、吉村は陽太郎から腕を放してぜんを地面に下ろし、直立不動から綺麗な弧を描いてこれでもかというくらい深いおじぎをした。
「本ッッ当にありがとうございました! 陽太郎が無事なのもあなたたちのおかげです」
「あぁ、いいですよそんなに丁寧になさらなくても」
「報酬としてたんまり酢昆布よこせば超過料金もチャラにしてやるヨ」
「おいこら神楽余計なこと言うなっ、現金受け取りが一番だろーがっ」
「だからアンタらはすぐ人にせびるのをやめろォ!」
「それで、報酬なんですけど、生憎今は報酬分に見合うだけの金額を持ち合わせていません。なので、また後日送らせていただいてもよろしいでしょうか」
「なるべく早くよこせよ、最近金欠だからな」
「銀さん少しは遠慮というものを覚えてください」
「キャッホーイ! これでしばらく酢昆布食べ放題アル!」
「神楽ちゃんも!」
 賑やかな万事屋の様子に吉村が楽しそうに微笑む。
「はい、戻ったらすぐにでもお支払いします。それと、ここまでしてくださった方々を私も手ぶらで帰らせる訳にはまいりません。どうか、今はこれだけでも受け取ってください」
 そう言って吉村は懐から何やら名刺ケースサイズの箱を取り出すと、中から数枚の紙を抜いて銀時に渡した。
「んだ、これ」
「たまたま今日持っていたものです。よろしかったら、お使いください」
 銀時が手に持っている紙を横から神楽と新八が覗き込む。その細長い紙に書かれた文字を読んで、新八が驚きの声を上げた。
「銀さん、これ、最近できたあのデパートの買い物券じゃないですか! しかもひいふうみい……い、いいんですかこんなに!?」
 それは百円分や五百円分といった普通の買い物券ではなく、五千円分と一万円分の買い物券が五、六枚という結構な金額のものだった。吉村が微笑んで言う。
「ええ、それで、どうか我が社をご贔屓に」
「……え、我が社、って……え、えぇ!? もしかして吉村さん、あのデパートヨシムラの、」
「はい、僭越ながら社長を務めさせていただいています」
「社長!?」
 社長、という響きに銀時と神楽が食い付く。こういうところに素早いんだよな、と新八が内心呆れた。
「元祖は今住んでいる吉村商店ですが、一念発起して事業開拓に乗り出してみたら運良く成功しまして、その成り上がりで……黙っていて申し訳ありません。社の者に無駄な心配をかけぬよう急用があると偽って仕事を抜け出していたのでその負い目があって」
「いや、それは別に気にしてないんですがね、これ、本当にウチが貰っちゃっても……?」
「もちろんです」
 銀時の質問に最高のスマイルをくれた吉村が、万年金欠に等しい万事屋一同には神様に思えた。
「イヤッホーアル! 銀ちゃん、新八、さっそく買い物に行くネ!」
「あ、あの」
 浮き足立つ面々に声をかけたのは陽太郎であった。神楽と新八が目をぱちくりさせて陽太郎に注目する。陽太郎はあー、や、うー、としばし言葉を濁した後、意を決したようにキッと二人を見つめて勢い良く叫んだ。
「あ、ありがとうっ、神楽お姉ちゃん! 新八お兄ちゃん!」
 言い終わった陽太郎は顔を真っ赤にさせて、急いで吉村の陰に隠れる。よく言った、えらいな、と吉村に褒められて更に照れて隠れてしまった。
 その可愛らしい様子に二人は満面の笑みをつくる。
「どういたしまして!」
「また困ったことがあればいつでも万事屋に来るアル!」
 二人にそう言われて少しだけ顔を出した陽太郎は、子供らしい素直な笑顔で喜んだ。

「もー、神楽ちゃんてば酢昆布買い込みすぎ」
「だっていくらでも買っていいよって新八言ったもん」
「言葉の綾でしょーが!」
 万事屋一行が買い物を済ませた頃合には空はすっかりオレンジ色に染まり、美しい夕焼けを映し出していた。
 神楽が定春の上に乗り、買ったばかりの酢昆布を一箱開けて齧っている。新八が神楽に向かって「夕飯があるんだから食べすぎないようにね」と母親のような台詞を言いながら買い物袋を片手に提げて定春の横を歩いている。両手に重い荷物を抱えた銀時は、ぷらぷらとそれを少し後ろから眺めていた。
 ふと、吉村が言っていた言葉を思い出す。
 目の前の景色を改めて見つめてみた。二人と一匹の向こう側では、まぁるい太陽が赤く染まり、辺り一面を温かく照らしている。
「銀さん、早くしないと追いていきますよー」
「銀ちゃん、早く家に帰るネ」
 神楽と新八が振り返って、笑う。機嫌良く定春が吠える。銀時はゆっくりと空を見上げた。
「……眩しすぎんだろーが、ったく」
 呟いて、少しだけ速度を上げて二人に追いついた。
 真っ直ぐな笑顔に挟まれて眺める夕暮れの道は、どこまでも輝いているように思えた。