かいやぐら

なんだか泣きそうだな、と恐れた。
目の前の餓鬼がみるみると大きな瞳を潤ませていくのが分かる。困った。非常にまずい事態だ。
「おい」
なんとか状況をどうにかしようとして声をかけてみたが、完全に逆効果だった。餓鬼が怯えたように肩を震わせる。
小さな唇が何かを呟くように微かに動いた。聞き取れない。餓鬼の眼光が鋭くなった。き、と此方を見据えて言い放つ。
「死ね!」
それはあまりにも聞き覚えのある声で放たれた聞きなれた言葉だった。思考が固まる。ふっくらとした頬が濡れていく様を、ただ茫然と眺める。
そこで目が覚めた。

「おまえだったよ」
「そうですかい」
興味なさそうに総悟が答えた。何か別のことを考えてるように見える。
「ねぇ、土方さん」
零れそうなほど大きな丸い瞳がこちらを捉えた。
「どうして、あんただったんでしょう」

溺れているんだな、とやけに冷静に考えた。
水面が遠く見える。苦しくはないけどなんだか変な心地だ。この世に取り残されたような感覚。
水中の世界はきらきらと輝いて穏やかに揺れている。ふとこれはただの水じゃないと気がついた。
これは無色透明な炭酸水だ。炭酸水に沈んでいく。自分はこのままどうなるのか。
土方さんが助けに来ないかな。そう思った。助けてほしいのか自分は、と思ってから気づいて驚いた。
あぁ、土方さん助けてくんねぇかな。隊服が重い。ここは、静かだ。土方さん。
来ねぇよな。此処のこと知らないから。あの人はきっと今難しそうな顔して書類に向き合ってる。あの水面から黒い腕が伸びることはない。
ただ水面を眺めていた。
そこで目が覚めた。

「何の話だ」
「炭酸水」
「はぁ?」
「いいや、土方さんには、この話」
「なんだよ気になるじゃねーか」
「あんたの夢の話はあんたが勝手にべらべら喋ったんですよ。俺があんたにする道理はどこにもない」
「……つまり夢の中の話なんだな」
いかん墓穴を掘ったと気づいた時にはもう遅かった。我ながら土方相手になんて失態。
でも俺が話さなければあの夢の内容は土方にも誰にも知られることはないんだ。なら安心だ。
黙秘した俺を見て土方さんは体の向きを変え煙草を吸った。
起きて、なんで、俺は近藤さんや姉上に助けを求めなかったんだろうと思った。理由なら幾らだって思いつく。だけど、思い浮かべもしなかったのは、なんで。
土方さん、なんであんただったんだ。

風鈴がちりん、と控えめに鳴いてみせた。
土方が再び沖田に視線を遣った時には既に、彼はソーダを飲みにいこうと席を立った後だった。