嘘になってしまえばいい

たゆたっている。意識だけが存在してる今、周りの気配が変わって、確かに現世ではなくなってしまったのだろう。弾き出された時間軸の中、ただ消えゆくのを待っているとふいに、目の前に影が現れた。それらは見知った顔をしていて、俺の顔を認めると、とたんに表情を崩す。ぽろぽろと零れ落ちる涙。ぎんちゃん。鼓膜を揺らす音。ぎんさん。ずっと聞き覚えのある声。俺の名前を呼ぶこいつらを、俺はよく知っている。幻かと、思った。
「しんぱち、かぐら」
ずっと呼びたかった名が掠れて聞こえる。二人は涙の止まらない目を擦りながら、こくこくと頷いた。新八と神楽だ。よくそれが分かって、つ、と頬に一筋が流れる。お前ら、なんでここに。思わず漏れた問いに、二人は答えようとするが嗚咽が邪魔をして上手く喋れそうにない。引き攣る声が苦しそうで背を撫でてやろうとすると、あげた手が虚空を切った。後ろの透ける二人の姿に息を呑む。こいつらもただ、意識だけの存在だということ。それが表すことに察しがついて、触れられぬのも構わずに二人を抱き寄せた。なんでここまでくるかね。反対の言葉をまた口が話しそうになって噤んだ。言ったら多分怒られる。殴られるかもしれない。それくらいのことは分かった。わかりきったことを聞く気はない。俺達はきっとずっと、同じことを考えてきた。
「ぎん、ちゃん」
「ああ」
「……っ、ぎん、ちゃん」
「ああ、きぃてるよ」
「……銀ちゃん、……あいに、きたよ」
「うん」
「会いに、きました……あいたくて」
「うん」
「っ、銀さん……っ」
「……ああ」
あいたかったよ。その言葉が喉から出ない。ずっとてめぇらのこと見ていたけど、ただ、会いたかったよ。
五年前の俺が過去へ飛んで事を成し遂げたなら、今ここは、時空の狭間にある。坂田銀時の存在は消滅して世界は書き換わる。未来が改変されるこの揺らぎの間に、十五年後の俺は崩壊したターミナルと共に世界から切り離された。そこにこいつらがやってきたのなら、こいつらもまた、時間から切り離された存在だということ。坂田銀時の記憶を持ったこいつら。五年間、ずっと俺の帰りを待っていた志村新八と神楽だ。意識と存在だけになって俺と違う場所でただ消えるはずだったこいつらが、こうして俺の下まで飛んできた。この、五年間万事屋からいなくなった俺の下まで。
「よく見つけたな、俺のこと」
「……銀さんを、追いかけているときに、階段下に、魘魅を見つけました、そしたら、ぎんさ……っ」
新八が声を詰まらせた。
えんみがぎんさんだって、しって。
「ぜったいに、絶対に、会いに行ってやろうって、もう一回、会ってやる、って、思って、会いたい、って、ぅ、ぁ、あ」
新八が、俺の腹を見て泣いている。神楽が震える声で聞いた。
「銀ちゃん、ぎんちゃん」
「ん、」
「ねぇ、ぎんちゃん」

「銀ちゃん、死んじゃったの」

「……あぁ」

二人の泣く声が堰を切ったように大きくなる。その頭を撫でたり、背をあやすことでくらいしか、涙を止める術がわからない。俺は死んだんだな、と思った。今になってよく分かって、あてどない感情が瞳から流れ出ていく。この誰もいない場所で、一人で、死んだ。
もし、嘘になったら。俺がこうなった理由が、感染が、嘘になったら。もっとよく働いて、こいつらに給料をやって、定春にももっとドッグフードを食べさせてやって、そうして、よく食べて寝て、朝が来て、こいつらと、万事屋をやっている。だらけて、叱られて、じゃれて、そうして、今までと同じように、なんでもないように、こいつらと、生きていく。生きていきたかっ――
俺は、俺自身を嘘にすることにした。この胴体を貫いた得物を持つ手が二人でも、他の誰でもなかったことに、今でも良かったと思っているから。
さらさらと終わりが近付いてゆく。
嘘になってしまえばいい。今だけ。三人分の涙も、俺が死んだことも。別れてしまうことさえも。全て。
「銀ちゃん、眠くなって、きたよ」
「僕たちこれから、どこへ行くんでしょう」
「心配いらねぇよ、ちょっと眠るだけだ」
「銀ちゃん、新八、やだヨ、離れたく、ない」
神楽の涙がまた溢れる。新八も鼻を啜って嗚咽を漏らした。
「銀ちゃんのばか、ばか」
「大馬鹿ですよ、あんたは」
「ひでぇなァ、銀さん頑張っただろ」
「それがこんな結末なんて、あんまりです」
あんたが消える結末なんてあんまりです。そう言ってくれるだけで、俺は果報者だった。
「じゃあもっとそのツラ、よく見せてくれ」
二人の顔を見回す。もう指先から溶け始めていた。
「五年振りなんだ、これで最後だから……もっとよく見ときてぇんだよ」
「銀さん……」
「銀ちゃん」
「ここはもう、万事屋だよ。後は託して、俺たちゃもう眠ろうぜ」
「いいですか、起きたら覚悟してくださいね」
「ああ」
「銀ちゃん、最後なら、ちゃんと笑ってヨ」
「ああ、てめーらもな」
おら、もっとくっつけ、と、これ以上ないほどにくっつく。
「ほら、互いのツラよーく見とけ。せーので一緒に、目閉じんぞ」
「わかりました」
「わかったアル」
泣きべその顔が二つ。もうすぐ全てが消えると解っていて、なお願う。祈る。
終わらせたのは自分であるのに、滑稽だった。馬鹿でもいいから、願わくは。
「じゃあな、てめーらと万事屋やれて、楽しかったよ。せーの」

嘘になってしまえばいい。
次、目ぇ覚めたら、あの万事屋の寝床んなかだ。