いとしい

 かぶき町の、スナックお登勢の二階に位置する万事屋銀ちゃん、その事務所兼住居スペースにある何の変哲もないただのゴミ箱、ここに、万事屋に住まう三人と一匹の日々の断片が積み重なっている。正確に住んでいるといえるのは銀時と居候の神楽、そして飼い犬の定春だけであるが、実家通いの新八も最早住人と呼んでいいほど、自然と周りにそう認識されても可笑しくないほどには、万事屋の住居に溶け込んでいた。ゴミ箱と言うからにはもちろんゴミを入れる箱のことだ。それは遠い星から来た天人の神楽であったって知っていた。神楽はよく紙屑やら空き箱――大抵酢昆布の――を自堕落にも身を動かさず腕の描く軌道を信じ遠くからゴミ箱に投げ入れようとして、成功して小さくガッツポーズしたり失敗して渋々立ち上がったり新八に窘められたりした。子供の神楽が日常のささやかなスリリングを楽しむのはともかく、いい歳した銀時も同様にプチゲームすることがあるため、新八は現場を見かけるとなんて大人だろう、少しの距離なんだから歩け、誰が床掃除してると思ってるんだ? と少々苦言を言いたくなる。場合によっては既に言っている。ただもうあんまりそこに真剣にツッコんでも大した意味も成果もないとわかりきってしまったので、ほどほどに注意するだけだ。だが時によってそのほんのささいな、時には新八自身もやりたくなる容易で罪の軽い堕落行為が、新八の肌に浸食し神経を引き千切ってしまうことがある。その日の新八はやけに疲れていて神経がいつもより過敏になっていた。自分でも異常だと感じ取っていたのでお茶でも飲んで落ち着こうとした矢先、社長椅子に腰掛けたままの銀時が先にあげた行動を取ったのだ。丸め込まれたティッシュは宙を舞いゴミ箱の縁にあたり、銀時が投げたスピードのせいでそれなりの音を立ててゴミ箱を揺らした。その音が、新八にとってだめだった。落ちたティッシュを仕方なく拾いにいこうと立ち上がった銀時を、間髪入れず怒鳴りつけた。自らが発した怒声に新八も内心驚いていたし、言われた銀時は一瞬口を開けて更にあからさまに驚いていた。だがすぐに耳を両手で塞ぐようにしてうっとうしそうに返す。結果さらに新八を煽ってしまい、そのまま口喧嘩が始まった。
「そんなに怒ることかよ」
 銀時はそう発したものの、新八が何もゴミ投げのみで沸騰したのではないと薄々感づいていた。ただ、口論の最中にそれを指摘してやれなかったことに後悔したのは、やはり後悔と言うからに事の過ぎた後、新八を置いて買い物に出掛けている最中であった。途中、町中ですれ違う神楽に「なにシケたツラしてるネ」と言われ、事の次第を話し、なんだそんなことかといった顔をされた。散歩を終え満足そうな顔つきの定春に、慰められるようにぺろりと手を舐められる。銀時は少しばかし情けない気持ちになった。
「もうケンカは終わったんでしょ」
「ん、まァ」
「じゃあ、あとは仲直りするだけネ」
 子供の素直さに助けられる。思い返してみれば、三人のうち二人が喧嘩したとき、残りの一人が間を取り持つことが多い。一足先に万事屋に帰る神楽と定春を見送って、銀時は、新八の好物を思い出そうとしていた。
「今日、カレーですか」
「銀さん特製仲直り印のカレーライスだよ、新八、小皿とって」
 台所で鍋をかき混ぜる銀時の背後から、新八が顔を出す。言われた通りに小皿を手渡して、銀時の表情を窺った。銀時は煮詰めたカレーをお玉で掬い皿に注ぎ、つ、と味見する。それからもう一度掬って、ほらよと新八によこした。新八は味を確かめて、一つ頷く。
「この前の隠し味、ちゃんと覚えてたんですね」
「おー」
「……いらいら、しちゃってて。あたってすみませんでした」
「いいってことよ」
 数週前、新八が思いつきで入れてみた材料がカレーの風味によくあい、三人ともに絶賛した。同じ隠し味を入れたカレーを食卓に並べ、三人で手を合わせてからいただく。おいしいと笑う新八の顔を銀時は大江戸マートで歩きながら思い出していたし、ついでに、幸せそうにおかわりする神楽の顔も忘れてはいなかった。新八は今日どうやらイライラしていたようだし、神楽の喜ぶ顔を付け足しておいたほうが効果的だろうと、銀時は予想していて、結果的に効果はよく出ていた。温かな料理のいい匂いが部屋に充満し、定春がくしゅん、と一つくしゃみをする。
 万事屋のゴミ箱に、インスタントカレーのパッケージ一箱。