類の瞳に色とりどりのスターが映っている。ダイニングテーブル傍の椅子に腰かけて食後のコーヒーを飲みながら、司はそれを見ていた。堆く積まれたDVDの数々、なかにはビデオテープなんかもある、それは、類の傍に置かれていて、類が鑑賞するために存在していた。類はこれらを丸一日中鑑賞している。というか観察している。ようするに演出家の仕事のために、古今東西のあらゆるショーステージを勉強しているのだ。それは司もよくやることではあった。類と共に見ることもあったし、それで意見や感想や雑談がヒートアップして、翌日寝不足のまま仕事に向かうことだってあった。生の舞台観劇も勿論良いが、こうして今は永遠に観られなくなってしまった過去の名舞台を見ることができる映像鑑賞もまた良いものには違いなかった。映像ならば多少は冷静に分析ができることと、何度も巻き戻しで繰り返し見られるところも良い。司は大抵役者に目が行った。対して類は舞台演出に。それが今、類の瞳に熱心に映るのは、舞台を照らす照明でも、せり出す装置でもなく、ステージの中心に立つ役者、いわゆるスターだった。彼が何度も繰り返し見た映像も、改めて見てスターの一挙一動を観察している。普段は類がセレクトしないような作品も山の中には積まれてるようだった。司はその姿をじっと見つめている。ソファに座る類の姿は後頭部しか視認できない。だから想像する。きっといま彼の瞳には、自分以外のスターが目に焼き付いているのだ。司はもう一度コーヒーを飲んだ。類がこうしてスターを勉強しているのは他でもない、演出家神代類が手掛けるショーにて主演となる、天馬司という役者のためであった。
司はそれを解っていてなお、こちらを振り向かない、類の後頭部を眺めている。マグカップはもう空になっている。類は殊更熱心にテレビ画面を注視していた。ぶつぶつと何かを呟いている声も聞こえる。それが愛おしい司は反面、どこか不貞腐れた気持ちを抱えてマグカップを弄んでいた。折角の重なった半休と明日の休日、それの過ごし方と期待を考えている。同じくソファに並んで鑑賞しないのは、演出家としての類の仕事を邪魔しないためだ。――恐らく隣に座っては邪魔をしてしまう。きっと自分を抑えられなくなって、類に触れてしまう。それが解っていた、情けないスターだった。
「も、もういぃ、よ、つかさくん」
か細い声で類は懇願した。ぐちゅ、ぐちゅと卑猥な音が下部で響いている。類はその音だけでもう達してしまいそうだった。どれくらいの長い時間司の指に蜜壷を解されたのだろう。三度は達している。それ以上はもう数えきれなかった。司は、うつ伏せになった類の淡く色づくなだらかな背中にキスを落としていく。気まぐれに項を舐めた。その間も指を動かすのをやめない。類の弱い前立腺をコリコリと捏ねては、限界まで奥に突き入れてノックする。かと思えば入口付近を緩慢になぞり、ぐるりと拡げるように指を開けた。その度にビクッビクッと快感を拾い類の身体は痙攣する。長時間の愛撫は身体中の神経を敏感にさせた。元々類は感度が低い方であった。それを司が開発して今の司だけに敏感な身体に作りかえられている。だから類にはもう何もかもが気持ちよすぎて拷問のように辛かった。もう何度懇願したかわからない。始めは「今日は久し振りだからゆっくり解したい、だからその間楽な姿勢でいてくれ」と司に言われ、あっさりと了承したのだ。まさかこんなに攻め立てられるなんて聞いてない。枕はもう汗と涎と涙でぐしょぐしょになっているし、シーツだってくしゃくしゃになっている。司の指だってもう自分のなかの熱さでふやけてしまってるんじゃないだろうか、と類は快感でどろどろになった頭で思う。前立腺を擦られる度に悲鳴が出る。はやくもっと大きな熱い司のもので突かれたかった。何より、司がいつもするセックスと今日は何かが違う。司との行為はいつも溶けるように甘く優しい。その優しさが類は司らしくて好きだ。だけど今日は、傷付けは絶対にしないものの、些か執拗で、そして意地悪い。司の顔が見られなくて不安でたまらなくなった時は、察した司が顔を振り向かせて優しくキスをしてくれた。それでも、この甘い拷問をやめてくれはしない。時折胸の頂きを抓られて、摘まれて、押し潰されて、その度に類の腰は勝手に浮き上がってしまう。快楽漬けにされている。類はもう頭がおかしくなりそうだった。もうなってるのかもしれない。司のことしか考えられないし、司の肉で貫かれる一瞬のことしか心も身体も望んでいない。司に快感を与えられるだけの生き物になってしまったような心地がした。神代類は、今ここにいない。
「類」
司の声に類は振り向いた。それで少しだけ冷静になってくる。文句のひとつでも言おうと開いた唇は、未だなかにいる指の出てゆく感触によって喘ぎを吐いた。前戯だけでくたくたになった類の身体を、司がひっくり返す。ようやくいれてくれるのか、と類は期待したが、司がその前に注文をした。
「類、ポーズを取ってくれないか」
なにを言ってるんだろう、と類ははてなを浮かべる。司だってもうガチガチに臨戦態勢じゃないか、余裕なんてないだろう、と思ったためそのまま伝える。
「っ、かさくん、そんな余裕あるの?」
「……ある」
「ふーん」
じゃあどんな体勢がいいんだい、と類は聞いた。正直、はやくはやくそのガチガチになった司のものが欲しい。貪欲な気持ちを最大にまで引き上げさせられていた。
両腕を頭上にまで上げて、脚を大きく開かせて。自分の状態を脳裏で俯瞰したのか、類は顔を真っ赤に染めて逸らした。司はその姿を隅々まで眺めている。高校生の頃よりもしっかりとした体躯になった類は、それでも胸下から腰にかけたラインが細いままだ。腹の上は前戯の時に吐き出した精液で濡れている。普段隠している部分が全て丸見えになっていた。胸の飾りは赤く熟して、ツンと甘く聳え立っている。髪色と同じ色味の下生えがしっとりと濡れていて、くらりとするほど淫猥だった。司は大きく息を吐いた。いれたい。でもそれ以上に、こんな恥ずかしいポーズを見せることを許してくれた、きっと自分だけしか見られない類の姿を見ていたかった。あからさまな支配欲と独占欲。司は自覚していてそれを隠す必要性を感じていない。爛々と射貫く瞳を見せるのは、それこそ司だってベッドの上にいる時の類にだけだ。
「司くん、も、はやく、いれ、て」
類は羞恥の限界だった。恥ずかしすぎて、いっそのことはやくめちゃくちゃに突かれて何も考えられなくなりたい。類の懇願に司は甘いキスで応えた。首元に類の両腕が縋る。念願の感触に、揃って震えながらゆっくりと司が類のなかへ入ってゆく。
「類、るい、かわいい」
「あっ、だめっ、きもちい、ぃ、ひっ」
バチュンバチュンと激しく肉のぶつかり合う音が響く。手加減できずに司は類を突き上げた。類はもう、快楽の悲鳴をひっきりなしにあげ続けることしかできない。
「やっ、アアッ、ぃ、いっ、てる、いってるからぁっ! とめ、ふぇ、アッんっ! 〜〜〜〜〜!!!!!」
ドライオーガズムを繰り返しすぎて、頭が馬鹿になりそうだった。こんなセックスをしたら、二度と司のいない生活には戻れない。それくらい激しいセックス――そんなものがなくたって、もう僕は君から離れるなんて二度とないのになぁ。
揺さぶられて、快感漬けになって、それでもまだ残る冷静な部分で、類はそう思う。
(こんなにまでなるなんて予想外だよ……)
生理的な涙を零しながら類は思う。しっていた。自分の感情に疎い類にだって、類が司以外のスターを観続ける様を見たら司がどんな感情になるかある程度予想はついていた。恋人としてどれだけ司に愛されているかも知っているし、演出家としてもどれだけ司に愛されているのか知っている。その自負をここまで持たせてくれたのは今までの司の行動と言葉の賜物だ。だからといってそんな私情を挟んでショーに対する仕事を疎かにするなんて二人とも絶対に許さない。だから合理的に考えて、空いた時間に映像鑑賞をするのもやむなしだと思っていた。そしてそれに対する反動を、衝動を、司が自分にぶつけてきてくれるなら、それはきっとベッドの上だろうと予感も抱いていた。ショーへの情熱はショーにぶつける。でも観客も舞台も関係のない情動は、司も弁えて考えられると、彼の誠実さを信頼する類は最初から全部解っていた。解っていて、受け止める未来を予想して、それはつまり期待……していたに近い。だって天馬司という男は、あまりにも真っ直ぐで、素直で、好青年で、非の打ち所のない天性のスターなのだ。そんな彼に仄暗い嫉妬心なんて泥ついた感情を向けられるなんて、特権でしかないじゃないか。
(それでもここまで激しく愛されるなんて聞いてない!)
視界が涙でぼやけて何も見えない。必死に司の肩を掻き抱いて類は息をした。こんなに激しいのに与えられるのは快楽しかない。痛みも、恐怖もなくて、それはいつも司のしてくれる優しいセックスの延長線だった。生理的でない涙が少しだけ溢れ出てくる。自分がこんなに愛される人間になれるだなんて、思って、いなかったから。
「つかさ、くん、すき、すきだ、よ、だいすきっ」
ツン、と鼻の奥がなって、司は泣きそうだった。嫉妬心が醜いと、解っていて、それでもこのモヤモヤはショーには持ち込めない。類は素晴らしい演出家で、その指先は多くの夢を生み、その瞳はたくさんの魔法を吸収して、糧にし、新しい笑顔の場を作り上げる。そんな類の瞳を独占したい、愚かな人間が、居ていいのは二人きりの空間にだけだ。賢い類には全部見透かされてしまう。だから包み隠さずにいようと思った。醜い嫉妬心も、仄暗い情欲も、すべて類にみせてしまう。そうするとどうなるかなんて、考えてもいなかった。司はようやく、類に嫌われていなくてよかったと、自分の感情を言葉で言い表せた。
「類…………ッ、好きだ」
類が可愛い。類が愛しくてたまらない。想いが止まらなくて司は類の顔を真っ直ぐと見つめた。髪は随分と乱れて、目元はかわいそうなほどに赤く腫れている。突然止まった動きにきょとんと窺うように類は司の顔を見ていた。ぶつけられた愛の言葉に、ふふっ、と綺麗に類は笑って応える。
「しってるとも。たまらないくらいに、ね」
脚を絡めあって、最後の最後までスパークして。二人同時に達した後、脱力した類はコトリと眠りに落ちた。一瞬死んだかと思うほど静かに眠り込んだものだから、司は慌てて二、三度呼吸を確認した。寝てるだけだとわかり安堵した後、一回で落ちるほど無理をさせたことにじわじわと罪悪感が募ってくる。「すまん……類……」眠る相手に誠心誠意謝罪し、未だ昂りの収まらない自身の下半身は置いといて、隅々まで類の身体を清める。迷った末に司はこれ以上類に無理はさせられないとこっそりシャワールームで抜いた。何度か。
しばらくすると類は目を覚ました。
「司くん……?」
「すまん!!!」
開口一番に発された全力謝罪に類は「声が大きいよ」と顔を顰めた。類は少しだけ記憶を手繰って、恥ずかしいポーズを取らされたことを思い出す。絶対に司以外には見せられない、思い出すだけで顔が赤く染まるポーズだった。
「司くんさ……」
「ん、えーっと、なんだ……?」
「あんなポーズ僕に取らせるなんて、変態、なの?」
変態、の箇所をやけに強調して類は聞く。嫌味半分純粋な疑問半分だったのだが、司は「うっ……」と言葉に詰まって気まずげな顔を晒した。その表情があまりにも昔のままなものだから、類は思わず息を吹き出して笑った。
「誰かさんのおかげで僕は全く動けないから、今日の休日どうしようか?」
「いちいち棘のある言い方をするな……いやオレの自業自得だからしょうがないんだが……。せめてもの詫びに、今日は一日お前のどんな要求も応えてみせよう! 危ないのは無しだが」
「じゃあ……今度の舞台の台本読み、でもいいかい?」
「……まったく構わないが……ほんとうにそんな内容でいいのか?」
「もちろん他にもいろいろと世話を焼いてもらうよ? ついでに試したかったあんなことやこんなことの要求も飲んでもらおうかな」
「待て待て待て前半はいいが後半は今日一日に収まらないから無しだ!」
「ちぇっ……ほらはやく、台本、持ってきてよ。僕の情けない『スター』さん」
「なんだそれは……格好がつかないな」
「だってそれが僕の『特権』だからね」
「?」
「ふふ」
類の瞳にたった一人の愛しい恋人のスターが映る。