生まれた日を祝う文化がいつの間にか根付いていて、いよいよわからなくなるような、いや正直わかってしまう、奴らはこういう奴らだと、また自分と大勢の存在を切り離して考えていた。生まれた日を祝っているのか、この日が一周するまでまた生きてこられたことを祝っているのか、わからないが自分は後者の方がわかる気がした。人間は一回しか死ねないし一度しか生きられない。それを考えればわかるような気がした。都合のいい日だ。都合のいい風習だ。それでも「松陽の誕生日はいつ」と訊かれた時なんだかよくわからない顔でわらってしまった。だって思いきって訊いてきたのがわかる言い方だったから。こんなに変な顔をする師を疑問に思わない程度には彼も考えてきたのだと表情でわかってしまったから。それでも訊いてきた理由が、おそらく、この子のいま目の前にある、この子のために多めに用意した甘味の、同じことをするための質問で、この子は、同じことをしようとしてくれているのだと、感じてしまったから。さてなんの日にしようか。さてなんと返答しようか。どうして嬉しいと思うのだ。どうしても嬉しいと思ってしまった。たくさん用意した君の好物の、理由を、奥の奥まで、きっと銀時は知っている。
生まれた日
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