イツツの物語

マイちゃんとセンパイ

街が色彩を塗り直し始めた。淡い桃色から深い緑、それからの赤や黄色の折り紙たちを剥ぎ落とし、砂のような灰色がかった白へ街を浸しなおす。そうして時が訪れると全てを白銀に塗り替え、その下でまた新たな緑が芽吹く準備を始めるのだろう。ただし街全体に漂う空気が白いわけで、とりわけクリスマスの近い今の時期は視野を街中のビルやオブジェ、連なる商店に向けると赤や緑、派手で際立つ色彩が多い。行き交う人々は忙しげで、楽しそうで、何処か嬉しそうだ。隙間なく音が往来する。意思もなく選択した音は目の前のビルの大画面から流れるコマーシャルソングだった。糖分オフだから甘すぎない。これなら私も飲めるねと話題のドラマを主演している女優が笑顔で言った。粒々と小さい電球の斜め下、物静かに景色に溶け込む時計台が指している時間は四十分。焦りはしていないが些かの心配と疑問はある。彼女とのこうした待ち合わせは初めてだが、普段から時間にルーズな性格は感じられなかった。文字盤から意識的に目を逸らして、人並みに焦点を彷徨わせる。不意に手持ち無沙汰な心持ちがして、手袋を嵌めた手を指でなぞると余計それが増した。毛糸の感触を意味もなく辿りながら吐く息が白く変わることを二、三度確かめたところでポケットから僅かな振動を感じる。厚みに挟まれた感触で器用に通話ボタンを押し耳に当てた。「センパイ、今どこですか」。挨拶の後に聞こえた声は常よりも幾分か高く感じられる。地下鉄三番出口の前だと答えるとそこで待っていてください、すぐ行きます、というような返事がきた。
暫くして彼女は階段下に姿を現し焦ったような僅かばかり口角を上げているような不思議な顔をしながら此方に駆け上って来た。遅れた訳を聞くと、乗る予定だった電車の発車時刻を間違えて家を出てしまったのだと言う。彼女もマフラーと手袋をしてきちんと防寒対策を施している。柄の付いた白いセーターの下に履いたホットパンツから黒いタイツを纏う足が伸びている。空間が白に溶け込まされた中で、それはごく当たり前のように、似合っている格好だと思えた。「行きましょうか」。目的地はシーズンに合わせて綺麗に飾り立てられた大型百貨店。歩調を少し考えながら歩む。「雪が降りそうですね」「そうですね」。先に言ったのが彼女で後が僕。不器用に間合いを詰めながら進んだ。

百貨店に着くとまずは雑貨屋へ向かった。自分達の所属している部活が開くクリスマスパーティーの備品買いを頼まれている。公平なくじ引きにより決められた役割の筈なのだが、部長含め他の部員の様子を見た限りとてもそうな気はしない。パーティーグッズを物色しながら彼女と他愛もない学校生活の話を交わした。学年が一つ違うだけで色々と新鮮な話題が出て面白い。時折パーティーに出したら盛大に受けそうなグッズを見つける度に報告しあっては皆の反応を想像して二人して笑った。
黒に染まる彼女の足がライトの下を進んでいく。放たれた光線は有象無象に線を描いて輪郭を浮かび上がらせた。影が二重分割して後を追う。プレゼントをねだる子供が母親と手を繋いで横を通り過ぎた。歳若く見える母親とよく似た娘が並んで楽しそうにお喋りしながら店の奥へと消えていく。彼女が振り返って僕を急かす。僕を待たずに店に飛び込んだ彼女は楽しそうに他に品物を選ぶ人混みの中の一人へと紛れ込んでいった。遅れて来た僕は彼女が他と一体化して見失ってしまわないように、それだけで品物を選ぶ余裕はなかった。彼女がレジの列に並んだ時にようやく安心して自分の買う品物を探し始める。会計を終えた彼女が僕を見つけ出して、そっと近くの棚で品物を取り出したりまた戻したりを繰り返していた。

百貨店内にある喫茶店で軽食を取る。彼女の目の前にはコーヒーとサンドイッチが、僕の目の前にはミルクとシロノワールが置いてある。彼女が二切れ目の食パンとハムとレタスを咀嚼した直後に言った。
「センパイ、私たちって付き合ってるんですよね」
「僕が君に告白して君が了承してくれた日からそう思っているけれど」
「センパイといるととても気が楽です」
彼女が控えめに、縮こまるようにして微笑んだ。シロノワールの一角を胃の中に落とし込む。彼女が少し不安そうな、不満げな様子に見える。
「どうしましたか」
「あ、いえ……」
如何にも歯切れ悪そうに言い淀んだ彼女の視線が、机と皿の僅かな間を泳いだ。
「センパイは、いつも敬語で話すじゃないですか」
「はい」
「いや、それは、それで、いいんです。けど、その……」
彼女の手が少し上げられて軽く握られたかと思えば、しゅんとしたように太股に下ろされた。もごもごと口を動かしては、落ち込んだように眉を下げる。そうしてゆっくりと僕を見上げてか細い声で言った。
「センパイは、私、が、なかなか言い出さなかったから、告白してくれたんですよね」
真剣な瞳に驚いた。自然と口から言葉が出る。
「違いますよ」
本当であった、が、彼女は疑り深い目を未だ向け続けている。
「ちがいますよ」
同じ言葉を、今度はゆっくりと言ってみた。この想いが、彼女に上手く伝わればいいと一心に願って発する。これを言い表す言葉を僕はまだ考え付くことができない。
彼女が感じている距離はそのまま僕が感じていた距離だった。もどかしさが宙に浮かんで取り払おうにも掴むことすらできない。そのもどかしさすらいっそのこと愛しいのだと言ったら彼女はどんなことを考えるだろうか。彼女の名前を呼んでこの後映画でも観ましょうかと誘った。彼女の表情で、彼女もどうやらいっそのこともどかしさを飼い慣らすことにしたのだと確信した。ベターな事柄だからこそありきたりなのだと信じてみる。ここから少しずつ関係を歩ませていくのも、まったく悪く感じないほど愛おしいのだ。

外の空気は変わらず白くて冷たい。溶け込むように横に並んで、寒いからと差し出すその手を、大きな一歩だと喜ぶようにぎゅっと握った彼女が笑う。その掌をはぐれないように強く握り返した。